栄西といえば、どうしても、曹洞宗の道元と比較してしまう。
道元は、俗世との関係に一線を画して、北陸の山奥の永平寺に籠り、ひたすら禅に明け暮れた。
一方の栄西は、京都の建仁寺で、権力者との関係を築きつつ、臨済禅を一般社会に普及させた。
一方の栄西は、京都の建仁寺で、権力者との関係を築きつつ、臨済禅を一般社会に普及させた。
勿論、私は、道元の方が好きだった。
この東京国立博物館で行われた、栄西と建仁寺展にも、そんな偏見を携えて行った。
会場の入口で、栄西の銅像が来場者を出迎える。まず目に付くには、頭が大きいこと。特に額の広さが、尋常ではない。フランケンシュタインのようだ。
栄西は、宋に渡り禅を学んだが、同時に、お茶の文化を日本に持ち帰った。油滴天目茶碗や美しい青磁などを見ると、当時の宋の繁栄の様子がうかがえる。
栄西の直筆の多くの文章も展示されていた。栄西の書いた文章と言えば、『喫茶養生記』だけがとりわけ有名で、それ以外の文章は、一般にはほとんど知られていない。
法華経や、密教に関わる文章、そして、東大寺の再建に関わる文書などがある。それらを見ると、栄西が単なる臨済宗の開祖、という枠では収まりきれない、当時の宋の最新仏教をもたらした、総合プロデューサーのような存在だったことがわかる。
当然のことながら、禅僧という立場から見れば、『喫茶養生記』は、余技の世界のことだろうが、それが現代では栄西の主著、と考えられていることは、皮肉に感じられる。
建仁寺は、応仁の乱の混乱で荒廃したが、戦国武将の安国寺恵瓊のよって再興され、その時代に、狩野山楽や海北友松などの絵師によって、華麗な絵画世界が生み出された。
狩野山楽については、以前、京都で行われた展覧会に行きそびれたことを痛く後悔していたので、少しはその後悔を晴らすことができた。
長谷川等伯の竹林七賢人図屏風。七賢人を竹の合間から垣間みる、少年の幼い表情が可愛らしく、微笑ましい。
長沢蘆雪の牧童吹笛図。筆を使わずに、指などを使って描いたという、素朴な牧童図。ぼかしを使って描かれた牛の表情が、実にユーモラス。
建仁寺の近くにある、六道珍皇寺。地獄に行ったと言いわれる小野篁にゆかりの寺で、何点か地獄絵が展示されていた。
鬼に歯を抜かれたり、血の池地獄で火に焼かれたりする人々の姿が、素朴なタッチながら、リアルに描かれている。
そして、会場の最後には、俵屋宗達の風神雷神図。この展覧会の目玉でもある作品。
さすがに、この絵の前には、多くの人が群がっている。遠くから見たり、近づいてみたり、いろいろだ。
これまでに、写真集やテレビでも何度も目にしているが、何とも不思議な絵だ。
筆使いは実にシンプル。髪の毛は一本一本、丹念に描いているが、体の線はかなり大雑把で、風神と雷神が乗っている雲は、ぼかしの技法であっさりと描かれている。
この絵の系譜からは、尾形光琳の琳派が生まれている。そのコミカルな神の姿は、現在の日本のアニメーションにも繋がる。風神と雷神の笑いの中に、哲学的な思想を読み取ることもできる。
見る人の視点で、実に様々なものが見えてくる。その豊潤さこそが、この絵の最大の魅力なのだろう。
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