2014年5月31日土曜日

映画をめぐる美術(東京国立近代美術館)


入り口を入ると、何台かの映写機が、展示室の両方の壁に、不思議な映像を写している。地図だけが映された映像、マルグリッドの有名なパイプの絵、雨の中で一生懸命に文字を書いている男などなど。

それらは、この展覧会のサブタイトルにもなっている、マルセル・ブロータースの作品。

ブロータースは、ベルギー出身の芸術家で、シュールレアリスムの活動にも参画した。彼にとって、映画は、純粋な映像作品というよりは、書くための新たな方法、だった。

そのブロータースの考えをヒントに、映画と言葉にまつわる作品を集めたのが、この展覧会。ブロータース以外の作家の作品は、その最初の部屋から放射状に続く、6つの部屋に展示されている。シネコンを模した、ユニークな展示構成だ。

各部屋に続く通路は、黒いカーテンで覆われており、シネコンというより、大学の学園祭の雰囲気。こういうのは、嫌いじゃない。

1つ目の部屋は、シンディ・シャーマンの写真作品と、アナ・トーフのスライド・インスタレーションの展示。

白黒の女性のアップの写真と、言葉を記したスライドが、交互に映し出される。言葉は、どうやら、ジャンヌ・ダルクに対する、尋問の言葉のようだ。

女性の表情は、涙を流しているものもあれば、何事かを考えているような表情もある。写真の女性は、尋問を受けたジャンヌ・ダルクの気持ちを、表現で再現しているようだ。

2つ目の部屋は、やなぎみわの作品。女子学生が、ジョン・カサベスのグロリアを再現し、撮影する様子を、2つの画面で、ドキュメンタリー仕立てにまとめている。

もう一つは、ピエール・ユイグの第三の記憶。実話に基づく、アル・パチーノ主演のシドニー・ルメット監督の狼たちの午後を題材に、映画では描かれなかったエピソードなども紹介しながら、素人地味た味わいで再現した作品。

映像が映されていた隣の部屋には、実話について紹介した、当時の新聞記事などが展示されていた。

3つ目の部屋は、田中功起の作品を展示。日本中を旅しながら、コーヒーを煎れるための道具を購入する、という様子のスナップ写真の映像や、訪れた場所を記した日本地図などを展示。

4つ目の部屋は、エリック・ボードレールによる影像作品。重信房子、そも娘のメイ、足立正生のインタビューを、何気ない映像とともにドキュメンタリーにまとめている。

作品の名前は、重信房子、メイ、足立正生のアナバシス、そして、映像のない27年間。映像のない27年間、という部分に、この作品のテーマが、よく表れている。

その部屋で配られた小さな冊子には、その3人を中心とした、日本赤軍の歴史が綴られていた。日本が、経済成長を遂げて行った時代に、その裏側にあった、もう一つの歴史が、淡々とした映像で語られる。

5つ目の部屋は、アクラム・ダザリの、タイプライターに打たれていく言葉を映し、それで男女のストーリーを語らせるという映像作品と、アンリ・サラのインテルヴィスタという作品。

インテルヴィスタとは、インタビューのこと。アルバニアにおいて、社会主義政権時代に撮影された党大会の映像を、そこに映っている女性の息子が、母親にその当時のことを尋ねるという作品。

その党大会の映像には、音がない。作者は、その言葉を映像に映る口の動きから読み取り、字幕をつけて、母親に見せて、当時の記憶を蘇らせる。

最後の6つ目の部屋には、3人の作家の作品。ミン・ウォンは、たくさんの映画館をポラロイド写真で撮影している。

ダヤニー・シンは、インドの役所の中のモノクロ写真。膨大な紙の書類が、延々と映されている。いったい、これらの記録を、誰が見るのだろうか?

アイザック・ジュリアンのアフリカの亡霊。3つの大きな壁に映し出された映像で、現在のアフリカと、過去のアフリカの映像を織り交ぜて、不思議な映像世界を作り上げている。

映像作品を、映像そのものの表現ではなく、言葉との関係で捉えようとする、そのユニークな試みは、大きな成功を収めていたように思えた。

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