2014年5月17日土曜日

ピカソの陶芸(埼玉近代美術館)


ピカソは、第2次世界大戦後の1946年、たまたま訪れた地中海のヴァロリスという小さな町で陶芸に出会い、その後、本格的に陶芸に取り組むことになった。

その後、そのヴァロリスのマドゥラ工房という工房で、ピカソは数千点の陶芸作品を作り上げた。

その膨大な作品のうち、およそ100点ほどが、埼玉近代美術館の展覧会で展示された。

ただし、そのほとんどの作品は、ピカソが直接作ったものではなく、ピカソのオリジナルから、マドゥラ工房の職人達が作ったものだという。

ピカソの陶芸作品は、これまで何度も、ピカソの名前を冠する美術館で目にしてきた。

まるで、子供が作ったような、その幼稚に見える造形。

しかし、なぜだかわからないが、その幼稚な造形の中には、何度見ても、何か、心の中に訴えるものがある。

正直、この展覧会に行くまでは、”今さらピカソでもないだろう”、という思いもなくはなかったが、実際にその作品を目にしてみると、新たな発見に出会えた。

会場には、陶芸以外にも、面白い作品が、いくつかあった。

アクアチント、という手法で作られた、闘牛のシリーズ。ある闘牛士の自伝の挿絵として使われたという。

マタドールらが入場するシーンから、牛が運び出されるまでの、闘牛の流れ全体が、まるで日本の水墨画のような、黒と白だけの世界で描かれている。

人や牛は、実にシンプルな、黒い筆先のような形で表現されている。その抜群のセンスには、やはり、この画家の”ただならなさ”が感じられる。

18枚のリトグラフで構成された、二人の裸婦。同じ構図でありながら、いろいろなパターンで、二人の裸婦が描かれている。

比較的、まともに人物を描いた最初の作品から、徐々にその形が崩れていき、最後の作品では、文字通り”ピカソらしい”、人物像に変化している。

作品の最終的な形へのこだわりを放棄したような、あるいは、音楽の変奏曲のようなその着想に、この画家の魅力が感じられる。

あーあ。終わってみたら、このピカソという画家の迷宮に、またまた迷い込んでしまったようだ。

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