かつて、日本が朝鮮や台湾を植民地化し、中国に進出していた頃、日本の東京芸術大学には、そうした地域から、多数の留学生が訪れた。
彼らは、西洋画の技法を学び、その後、画家として活躍するものも多かった。
そうした画家たちの中から、台湾からの留学生に焦点を当てた、上野の東京芸術大学美術館でのユニークな内容の展覧会。
自画像、人物像、そして、台湾などの風景画を中心とした作品が多かった。
絵の横には、それぞれの画家たちの、その後の人生が紹介されていた。
顔水龍のリュクサンブール公園という作品。顔は、日本で絵を学んだ後にパリに出て、サロン・ドートンヌに入賞している。
郭柏川は、梅原辰三郎の元で絵を学んだ。梅原の北京をダイナミックに描いた作品はよく知られているが、郭柏川の北京という作品も、その梅原の影響を如実に表している。
陳澄波の作品は、実に個性的だ。ゴッホやゴーギャンのような、後期印象派の雰囲気をたたえながら、ラテンアメリカの絵画のようにも見える。
陳澄波は、その後台湾に戻ったが、1947年の228事件において、国民党によって銃殺された。
この会場に作品が展示されていた画家たちの、絵を描いたその後の人生は様々だった。
そのまま日本に残り、最近亡くなった人もいれば、台湾に帰り、あるいは中国大陸に渡っり、その地で絵を描き続けた人もいる。
しかし、目の前のそれぞれの絵からは、そうした人生については、まったく思い浮かべることはできない。
絵は、それぞれ独立した絵として、それを見る人々に、自らの世界を表しているだけだった。
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