歌川国貞の没後150年を記念する、東京、原宿の浮世絵太田記念美術館での特別展。
歌川国貞は、江戸の末期に、葛飾北斎、歌川国芳、歌川広重らと同時代に活躍した浮世絵の絵師で、数万点以上の作品を残し、当時は最も高い人気を誇っていた。
残念ながら、現代における知名度は、北斎、国芳、広重らに比べて劣っている。
国貞は、歌舞伎の役者絵と美人画を得意としていた。
国貞の描く人物は、体の体型、顔の目鼻が、実にバランスよく描かれていて、まさに正統派。いずれも美男、美女で、当時の国貞の人気の理由がうかがえる。
中には、背景の風景を広重が描く、前景の人物画を、国貞が描いている浮世絵が何点かあった。
個人の画家の個性を尊重するヨーロッパでは、背景をセザンヌが描き、人物をルノワールが描く、などということはありえない。
浮世絵は、絵師の他にも、彫り師、刷り師など、様々な職人の共同作業で作り上げる。そうした状況においては、二人の絵師が、共同で一つの絵を描くことは、決して特殊なことではないのだろう。
幕末が近づくにつれて、北斎、国芳、広重らが、次々と世を去っていった。
残された国貞は、一人絵を描き続ける。
最晩年の作品が何点か展示されていたが、その技量はまったく衰えていない。すでに、75才を超えている。驚くべき気力だ。
国貞がその生涯を終えたのは、幕末直前の1864年。すでに79才となっていた。
この展覧会を見た人の心の名では、歌川国貞の名は、葛飾北斎、歌川国芳、歌川広重らと同じ位置付けが与えられたに違いない。
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