2014年8月9日土曜日

オルセー美術館展 印象派の誕生 描くことの自由(新国立美術館)


このところ、何年かに一度は、オルセー美術館展が開催されるように思える。

その度に、テーマは違っている。今回のテーマは、印象派の誕生、と題して、マネと印象派に焦点を当てた内容だった。

会場の入口と出口は、マネの作品を集中的に展示している。

一本の切花を、花びらを下にテーブルの上に置いて描いた、”シャクヤクと剪定ばさみ”という作品。

マネは、絵の具をそのままキャンバスの置いて、その絵具の質感自体で、シャクヤクの質感を表現している。緻密に描き込むこと無く、タッチだけで対象を描いてしまう。

展示の前半は、印象派誕生の前史、とでもいった内容。

ミレーの晩鐘。パリから遠く離れた、貧しい農民の夫婦が、一日の終わりの神への祈りを描いた、あまりにも有名な、オルセー美術館を代表する作品。

世界で最もポピュラーな絵の一つと言っていいだろう。二人の人物が、祈りを捧げている、というイメージは、多くの人の心に、明確に刻まれている。

自分が実際に見た物しか描かない、と語ったというクールベの”市から帰るフラジェの農民たち”。動物たちを連れて、家に戻る農民の家族を描いている。

人間たちは、誰からも生気が感じられないが、牛や豚、馬は、生き生きとしている。一頭の牛は、その視線が、こちらに向いて、この絵を見る者に、何かを語りかけているようだ。

ミレーやクールベの絵画は、自然の風景をそのまま描くというスタイルで、それが印象派の画家たちに、影響を与えた。

ギュスターブ・モローが、ギリシャ神話の英雄を描いた”イアソン”。英雄とその後ろに立つ魔女の2人の裸体の肉体が美しい。

しかし、この絵の素晴らしさは、その周りに飛び回っている小さなハチドリや、柱にかけられているメダルの細部に渡る細かい表現にある。

モローは、印象派の画家とほぼ同じ時代に活躍しながら、まったく別な道を歩んだ画家だった。

当時のサロンの画家として、よく紹介されることの多い、カバネルの”ヴィーナスの誕生”。海の上で、まさにヴィーナスが生まれようとしている、というSF的なテーマの作品。

この絵は、日本のオルセー美術館展では、よく目にする。しかも、悲しいことに、”印象派の敵”ともいえるサロンの画家の代表選手として、紹介されてしまう。

そんな役回りをいつも演じさせられるカバネルは、少し気の毒に感じてしまう。時代劇における、悪役の美学、といったところだろうか。

後半は、印象派の初期の画家たちの作品。さすがオルセー美術館。モネ、ルノアール、ドガ、セザンヌ、ピサロらの、見応えのある作品が多い。

ドガの”バレエの舞台稽古”。踊り子たちが、暗い舞台の上で、稽古を行っている。その暗さを、セピア色で描き、踊り子たちが、浮き上がっているように見える。

とにかく美しい。実際に絵の中から、その薄暗い光が漏れてくるように錯覚してしまうほど、見事に描かれている。

モネの”サンラザール駅”。点描画のような、細かいタッチを積み重ねて、機関車の蒸気が充満して、ぼんやりとしている、駅の風景を、見事に描いている。

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