2014年8月3日日曜日

ゴー・ビトゥイーンズ展 こどもを通してみる世界(森美術館)

こどもをテーマにした作品を集めた、東京、六本木の森美術館の展覧会。

展覧会の名前になっている、ゴー・ビトゥイーンズ(媒介者)とは、会場の最初に作品が展示されていたアメリカの写真家、ジェイコブ・A・リースが、子供をそう呼んだことによる。

移住先で、なかなか言葉を覚えない大人に対して、子供はすぐに覚えてしまうために、大人と社会との媒介者になるからだという。

そのリースは、アメリカの貧困層の子供たちの姿を、数多く撮影している。子供の姿を通して、社会の中における貧困という存在を表現している。

照屋勇賢の未来達、という映像作品。

沖縄の美しい自然の景色が、床に這いつくばったような、横長のスクリーンに映されている。


時々、米軍のヘリコプターや、基地の存在を表す映像が、そうした自然の映像の中に混じってくる。

沖縄で暮らす子供達に取っては、全く対照的なそうした存在が、記憶の映像の中では、違和感なく、文字通り自然として、ずっと残り続けるのであろうか?

近藤聡乃の作品は、自分が幼い時に感じた感情を、マンガで表現していた。


ウォン・ソンウォンは、自分が7才になった、という想定で、その想像の世界を、加工された何枚かの写真で表現している。


現実にはありえない光景だが、子供の眼には、このような世界が現実になっているのかもしれない。

山本高之は、子供に、彼らが想像する地獄の姿を、紙や身の回りの道具などを使って表現してもらい、その地獄のことを、本人がカメラの前で語っている。


上の写真の一番手前にあるのは、ハート形が見えて、とても地獄とは見えないが、これは、恋愛地獄だという。

好きな人のことばかり考えて、仕事が手に付かなくなった人が、陥る地獄だそうだ。

パレスチナのガザ地区で、悲惨な状況の中で、自分がスターになったことを想像で夢見る、スヘール・ナッファール&ジャクリーン・リーム・サッロームの”さあ、月へ”という映像作品。

イスラエルによるガザ地区への空爆で、多くの市民が亡くなっているというニュースが連日流れている。

果たして、どちらが現実で、どちらがアート作品の中の世界なのだろう。

最後のコーナーには、作品を展示していた作家の、あるいはそれに関連する絵本が、閲覧できるようになっていた。


夏休みの親子向け企画、ということでカルい気持ちで訪れたが、ずっしりと、重いテーマを持ち帰ってしまった。やれやれ。

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