2014年1月25日土曜日
木島櫻谷ー京都日本画の俊英(泉屋博古館分館)
東京、六本木の泉屋博古館分館で開催された、木島櫻谷の展覧会。
寡聞にも、木島櫻谷のことは知らなかった。
木島は、明治10年に京都三条室町に生まれた。生家の周囲には、竹内栖鳳を始め、多くの画家たちが暮らしていた。
その後、円山四条派の今尾景年のもとで絵を学び、早くから売れっ子がかとして活躍。帝展の審査員を長く務めたが、50才以降は、画業に専念し、61歳で亡くなった。
展示品の多くは、人物画と動物画。特に動物は、その愛らしさを上手く表現している。少し意地悪く言えば、見る人が、見たいような絵を描く画家、といっていいかもしれない。
咆哮という作品では、右の屏風に獅子が文字通り咆哮しており、左の屏風には、その咆哮に怯えて逃げ惑う、鹿の親子が描かれている。
その獅子の表現には、竹内栖鳳の表現を盗んだような印象を受けた。
あるいは、同じ円山四条派で学んだ二人なので、表現がたまたま似ていたからなのかもしれないが。
画三昧という作品は、まるで自画像のようだ。老人が一人、座敷で絵を描いており、ちょうど一休みした瞬間を、見事に捉えている。この絵を描いたとき、木島は実際、画三昧の生活を送っていた。
住友家の依頼で描かれた、色鮮やかな6双の屏風への数々。琳派の手法で描かれ、特に燕子花図は光琳の絵をそのまま写し取ったよう。他にも、雪中梅花、柳桜、菊花など、伝統的な画題を、見事な絵画技術で表現している。
秋の渓谷の風景を描いた、渓中の秋。所々、雲に隠れながら、そびえ立つ渓谷。紅葉の紅が効果的に使われ、実に美しい。中国の山水画とは、ひと味違った、山水画の世界がそこにはあった。
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