2014年1月12日日曜日

生誕140年記念 下村観山展(横浜美術館)


昨年に行われた、横山大観の特別展に次ぐ、日本画の大家の生誕140年を記念する展覧会。

観山について、これまで、その絵を何枚か見る機会はあったが、これほどまとまった数の作品を一度に見る機会はなかった。

下村観山は、明治6年に紀州徳川家の能楽師の家に生まれたが、時代の状況は、能楽師としての安定した人生を望める状況ではなかった。観山は、絵の才能を見込まれ、狩野派の元に送られた。

北心斎東秀という名で、狩野派に属して修業していた10代の頃のいくつかの作品を見ると、まだ幼さが残っているが、すでに、基本的な絵の技術を習得していることがわかる。

明治36年から2年間、政府のプログラムで、ロンドンに留学する。留学時代に、ジョーンズやラファエロを模写した作品が、会場に展示されている。オリジナル作品を、忠実に模写をしている。

この時代、観山以外にも、竹内栖鳳など、多くの日本画の画家たちがヨーロッパに渡り、ヨーロッパ絵画をその目で見、模写もしている。その経験は、何らかの形で、彼らの作品に影響した。

観山というと、どうしても、同じく岡倉天心の元で画業に励んだ、横山大観と比較してしまう。おそらく、本人同士も、それを意識していただろう。

絵画を比較するとは、およそ無意味な行為には違いない。しかし、一般受け、という点から言えば、やはり、観山は大観には及ばない。おそらく、観山も、そのことに気づいていただろう。

例えば、大観の富士山はあまりにも有名だ。観山の富士山は、山頂を少し大きめに書いて、わざとバランスを崩している。大観の富士山を意識していない、といったら、嘘になるだろう。

今回の展覧会の目玉と言える、小倉山、という2双の屏風絵。木々が茂る林の中に、美しい着物を着た一人の貴族が、座っている。この絵は、百人一首にある、以下の歌をもとにしている。

小倉山 峰のもみじ葉心あらば 今ひとたびの 御幸待たなむ(藤原忠平)

しかし、この絵の構想はいただけない。平安貴族が、このような正装で、林の中に座る、ということは、不自然に見えるし、木々の描き方に、どこか西洋的な雰囲気が感じられ、何となく、まとまりがない。

魚籃観音という作品では、観音様の顔に、ダ・ヴィンチのモナリザの顔をほぼそのまま使っている。当時は、新鮮だったのかもしれないが、現在見ると、失笑さえ浮かべてしまう。

絵を描く技術は素晴らしい。日本画の伝統と、ヨーロッパ絵画の技術は、完全に習得している。絵師としての観山は、完璧な技術を有していると言っていいが、画家としては、どうしても、物足りなさを感じてしまう。

観山は、年を取るにつれて、大仰なテーマよりも、宋元画といわれる、シンプルな画風を好むようになっていった。

会場には、穏やかな表情をたたえる、老僧を描いた、何枚かの作品が展示されていた。そこには、小倉山などの作品に見られる、気負いは全くない。肩の力を抜いて、自然体で描く観山の姿が、思い浮かべられるようだ。

ようやく、自分の本来のテーマを見つけられたのかもしれない。

観山の絶筆は、野菜を描いたもの。癌が見つかり、すでに体調は悪かった。体調がいい時間を見つけては、この絵を描き、何とか完成させたという。

素晴らしい作品だ。説明がなければ、これが絶筆だとは誰も思わないだろう。観山は、昭和5年に、肝臓がんのため、わずか57歳の若さで亡くなった。

これほどまでに、その死が早すぎることを惜しまれる画家は、他にいないかもしれない。

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