2014年1月11日土曜日
遣唐使は見た!憧れの国際都市(コスモポリス)長安(横浜ユーラシア文化館)
横浜の日本大通りの駅に直結した、横浜ユーラシア文化館。その開館10周年を記念した特別展。遣唐使が持ち帰った工芸品や、日本側の記録などをもとに、当時の日本人が抱いていた唐の長安のイメージを再現する、という歴史のロマンに溢れた企画。
当時、唐の都、長安には、ローマ帝国、ササン朝ペルシャ、日本や朝鮮などの周辺国、シルクロードのソグド人などの商人が訪れる、文字通りの世界都市だった。
人口は100万人。それだけの人々の生活と成り立たせるための、社会資本が、長安にはその時代に、すでにあったのだ。
3階の会場を入った、すぐ目の前に展示されていた、当時の踊り子と楽団をかたどった陶器の像。唐の時代、7−8世紀のもの。琵琶、太鼓、竪琴、日本の笙のような楽器を持っている。その音楽と踊りは、日本にも伝わった。
江戸時代の続日本紀の写本には、来日した芸能人に関する記事が残されている。現在に残る、日本の雅楽は、その当時の踊りや音楽を、今に伝えているのだろう。
唐と言えば、唐三彩、という言葉が思い浮かぶ。会場にも、何点か展示されている。胡人と呼ばれるペルシャ人やソグディア人が、馬に乗った、典型的な唐三彩。
イランのササン朝からもたらされた、ガラスの器。同じ形の器は、日本の正倉院にも残されている。ローマの通貨など。
最盛期の唐の都、長安には、世界中から、人や物が集まってきた。日本は、唐から多くのことを吸収するために、遣唐使を送った。
遣唐使は、西暦630年から838年まで、19回送られた。朝鮮半島経由の北ルートと、唐まで直接海を渡る南ルートがあった。日本からは、今の大阪の四天王寺の辺りの、難波津から船が旅立った。
唐に渡った人々は、会場に展示されているような、多くの文物を持ち帰った。しかし、目には見えない、唐の制度、思想なども、同時に持ち帰ったのだろう。
日本だけではなく、朝鮮、ベトナムなども、多くの物を吸収し、その時代に、現代にまで続く、東アジア世界、ともいうべきものが生まれた。
2回の常設展示の会場にも、一部のスペースに、特別展にちなんだ展示があった。
中央アジアで発掘された、7世紀の仏教壁画には、驚かされた。仏の来ている赤い着物には、何と、沢山の目が描かれている。非常に珍しい図柄だという。まるで、シュールレアリズムの作品のようだ。
インドのクシャン朝(1-3世紀)の時代の織物。クシャン朝の王が、火を崇拝している様子が、織り込まれている。個人が所蔵しているものだが、本当にクシャン朝の時代の織物だろうか?全体の一部しか残されていないが、本物とすれば、素晴らしいものだ。
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