2014年1月25日土曜日

大倉コレクションの精華Ⅲー工芸品物語 美と技が語るもの(大蔵集古館)


東京、虎ノ門にあるホテルオークラの敷地内にある大蔵集古館。そこで開催されたコレクション展の第3弾は、工芸品に焦点を当てた内容だった。

展示の中心は、能装束、能面などの能楽に関するコレクション。

能装束は、その名前を見ると、その実物をリアルに想像できる紫地扇面藤柴垣模様長絹。白地石畳菊唐草模様唐織紅白段檜垣蒲公英模様唐織。など。

能面は、小面、増女。獅子口などが展示されていた。

大倉グループの能楽コレクションは、そのほとんどが、大倉喜八郎が、備前池田家に伝わるコレクションを購入したもの。

能楽(江戸時代までは猿楽と呼ばれていた)は、室町時代に始まったが、江戸時代になると、幕府の保護を受けて、いわば国家公認の芸能となった。

江戸幕府はもとより、多くの大名が、お抱えの能楽師を抱えていた。豊かな大名ほど、自分の能楽師に、高価な能装束や能面を与えた。

明治維新になると、そうした全国の能楽師たちは職場を失った。苦しい生活の中で、伝統を守り続けた能楽師たちもいたが、職を変える人々も多かった。

先日、横浜美術館で開催された、下村観山の展覧会に行ったが、観山は、紀州徳川家に代々使えていた能楽師の家に生まれ、幼い頃に、能楽師でなく、画家になるように親類から指導された。

不要になった能装束や能面は、大倉喜八郎などの、新たな時代の勝者達に売られた。この展覧会で展示されたは、まさにそうした品々。

かつては、能楽師たちが、これらの能装束をまとい、能面をかぶり、日頃の鍛錬の成果を、殿様たちに対して、能舞台の上で披露したのだろう。

そうした事情を知り、目の前にある美しい能装束を見ると、単に美しい、素晴らしいではすみそうもない、複雑な気持ちに襲われる。

他に印象深かったのは、大正時代に、忠実に、作成された当時と同様に再現された、平家納経の経箱と経巻。今日見ても、そのきらびやかさには、驚かされる。

こうした品々を作らせた、平清盛という人物は、おそらくは、当時の日本で、最も多くの富を持つ人物だったのだろう。

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