東京、南青山にある根津美術館。2014年、最初の展覧会は、和歌がテーマ。
室町幕府の足利義政が書いた、小さな和歌の短冊。義政は、政治の世界から芸術の世界に逃避し、銀閣寺などを建てた人物、として知られる。
しかし、実際は、政治の世界から完全には足を洗ってはおらず、守護大名たちの利害調整に奔走していたともいう。
いずれにしろ、その短冊に描かれた字は、意外にも実に丁寧で、読みやすい。性格が繊細な人物だったのではないか、と思われた。
12世紀の、内大臣殿歌合。東と西に別れて歌を詠み合い、その歌と、判定の結果どちらが優れているかが、美しい文字で描かれている。西行の筆によると考えられてきた。
残念ながら、私には、細かい歌の判定内容まで、読むことができない。その場で作られた和歌に対して、即時の判定をする人物には、歌の知識、技術だけではなく、臨機応変さなど、実に多くのことが要求されたのだろう。それが、西行が書いた、と考えられた、原因かもしれない。
江戸時代に描かれた、吉野龍田図屏風。右の屏風には桜の花が白で、右の屏風には紅葉に葉が赤で、それこそ画面いっぱいに、描かれている。華やかさを通り越して、バロック的な、異様な感じさえ受ける。
その桜の花や紅葉の中に、和歌の書かれた短冊が描かれている。和歌は、過去の有名な歌集から採られている。一部の短冊は、ある部分が、桜や紅葉の裏に隠れて見えない。見える部分だけから、その和歌を当てるという、なぞなぞになっている。
その他にも、和歌の中に出てくる言葉を、その名前としてつけた、茶器の器、茶入れ。和歌の世界を、染色や刺繍にあしらった、美しい小袖などが展示されていた。
和歌が詠まれたとき、それは形をなしていない。それを文字に記したときから、まったく新しい世界が生まれる。その文字を読んだ人々が、さらに模写し、絵に描き、それを別な世界にも取り入れていく。
日本の文化は、和歌の文化と言ってもいいだろう。
江戸時代の初頭、寛政年間を中心に、江戸で椿が大ブームになったという。多くの種類の椿が作られ、この作品にも描かれているが、そうした椿の多くは、今日までは残っていない。
椿の種類だけでなく、お盆の上に椿、色鮮やかな和紙の上に椿、大きな籠に詰め込まれた椿、椿の周りにネズミ・・・よくこれだけのパターンを考えだしたものだ。
それぞれの絵には、水戸黄門など、当時の政治家や文化人たちが、和歌や漢詩、言葉などを書き添えている。
山楽といえば、個性的な画風、というイメージがあるが、この椿は、実に丹念に、対象を忠実に描いている。よくよく考え見れば、これほど多くの椿を描ききってしまうこと事態が、山楽らしい、と言えるかもしれない。
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