美術館である新国立美術館において、博物館である国立民族博物館のコレクションを展示する、というユニークな試み。
会場を入ると、いきなり、壁にかかった世界中の仮面が、来場者を睨みつけている。
普段は、来場者が作品を見る、という態度で臨む展覧会だが、その意表をついた演出は、この展覧会が、普段の物とは少し違うということを、冒頭で提示する。
落ち着きを取り戻し、壁に近寄って一つ一つの仮面を見ていくと、その多彩さに驚かされる。
日本のなまはげや、鹿踊の仮面は、自分には見慣れた物だが、世界中の仮面が集まった中では、始めはなかなか見つけられなかった。
普段は見慣れているものが、別なシチュエーションでは、違った物に見えるのだろう。
ニューギニア島のビス。死者をアナザーワルドに送るための柱。およそ6メートルほどの柱が何本も並ぶ姿は、まさに壮観。
ピカソを始め、数多くのアーティスト達が、こうした仮面などの作品を元に、自らの作品を作り上げてきた。
しかし、いわゆるこうした本物を目の前にすると、ピカソなどの芸術家たちの作品が、いかに貧弱で、みすぼらしいものであるかということがよくわかる。作品の持っているパワー、こちらに訴えかけてくる勢いが、まったく比べ物にならない。
ガーナの棺桶は、生前、その人が好きだった物をかたどって作られる。ライオン、飛行機、コーラの瓶などの形をした棺桶は、ほほえましく、葬儀という厳粛な場を忘れさせる。
現代においても、こうした民族的な制作物を作ってきた人々の精神は生きている。それは、決してアフリカやアジアの奥地だけではなく、日本や欧米の都会の暮らしの中にもある。
現代人が、何かの思いを込めて作り上げるものは、将来において、こうした作品となる。
イメージをすること、そして、何かの動きを起こし、何かを作ることの大切さ、楽しさ、痛快さを、この展覧会の展示品は、私たちに強烈なパワーとともに訴えている。
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