われわれの周囲にあるフラグメント(断片、かけら)を通して世界を捉えなおそうとする6つの試み、という副題がついている、東京都現代美術館で開催された、毎年恒例の国内のアーティストの作品を紹介する展覧会。今回で13回目とのこと。
最初のコーナーは、双子の高田安規子・政子による作品。洗面器の中に、軽石で作られた、小さなローマのコロッセオが置かれている。
身の回りにあるものを、繊密な加工を施して、アート作品に仕立て上げる。見る者に、普段見ているありふれた世界を、別な視点から見ることを促している。
この作品は、ある意味で、この展覧会全体を象徴していたことが、あとでわかった。
宮永亮の映像作品、WAVYは、都会の映像と、農村の映像が、街の喧噪の音の中で、オーバーラップしていく。
青田真也の作品は、洗剤などが入っている、いろいろな色のプラスチックのボトルの表面をヤスリで削り、台の上に並べたもの。
日常の生活用品が、一手間加えたただけで、アート作品に生まれ変わる、ということだろうか。
福田尚代の作品は、文字や文章をテーマにした作品を展示。ランボーの手紙、という作品は、古い文庫本のページを切り離し、1枚1枚に少し加工を加えている。
他にも、原稿用紙の、文字を書く部分を、丹念に切り抜いている作品など。
瀬戸内海の小豆島に暮らす、吉田夏奈の作品は、島の風景とおぼしき景色を、変形の立方体の表面に描いた作品。
他に、四角い柱の表面に、地層の絵を描いたり、地球のコアを描いた作品など。
吉田は、この小豆島で、山を駆け巡ったり、海にもぐったり、という暮らしをしているらしい。それらの作品は、そうした経験から生みだされている。
パラモデルという、2人のアーティストのユニットによる作品は、プラレールを壁一面に幾何学模様のように並べたもの。あるいは、別々の地下鉄の構内の立体図をつなぎ合わせ、大きな一つの構内図にしたものなど、大規模な作品が多かった。
このパラモデルの展示コーナーだけが、撮影が可能だった。
6つのコーナーの作品は、いずれも、声高に何かを訴える、というものではなく、何気ないものに注目し、それに少しだけアーティストの個性を加えて、作品に異化していく、というものだった。
同じ会場で、スペインとラテンアメリカの現代アートの展覧会が行われていたが、その展示作品は、このMOTアニュルとは全く趣が異なり、いわゆる”濃い”内容のものが多かった。中には、独裁政権を批判したものが何点か見受けられた。
そうした作品と、このMOTアニュアルの作品のギャプには、思わず考え込まされてしまった。おそらくは、企画側も、そのタイプの違いを際立たせる狙いがあったのだろう。
良くも悪くも、日本は、まだまだのどかな、平和な国なのかもしれない。
しかし、本当に危険な国は、アーティストが、政権や社会を強烈に批判する作品を作り続ける、スペインやラテンアメリカの国々なのだろうか?
それとも、アーティストが、何かから目をそらすかのように、日常的な身の回りのことをテーマに作品を作っている、日本という国なのだろうか?
0 件のコメント:
コメントを投稿