豊臣秀吉が、朝鮮に出兵した16世紀に、その戦争の中で、多くの陶芸を生業とする人々が拉致され、日本に連れ去られた。
この展覧会は、鍋島藩に連れ去られた李参平と、島津藩に連れ去られた沈壽官にフォーカスを当てている。
韓国文化院の正面の入り口を入って、すぐ左手が会場だった。
会場の周囲の壁には、その二つの一族について、そして、有田焼、薩摩焼の解説などがパネルで解説され、部屋の中には、およそ30点ほどの陶芸作品が展示されていた。
鍋島藩によって連れ去られた李参平らは、有田の地で陶芸に適した土を見つけ、その地で陶芸を作り始めた。
17世紀、有田で陶芸が始められてすぐに作られたと思われる、2つの小さな器。白い、何気ない器の周りに、素朴な筆使いで、草花が青地で描かれている。
有田焼は、その出荷を行う港の地名から、伊万里焼と呼ばれ、やがて、ヨーロッパにまで輸出されるようになった。
一方、島津藩に連れ去られた沈壽官らは、苗代川をはじめとした地に居を定め、士分の地位を与えられながらも、周囲とは孤立して暮らし、ずっと朝鮮の風習を守り続けた。
美しい色絵錦手の白薩摩は、幕末にパリで行われた万博で、世界中から絶賛を浴び、その技術力の高さを世界に知らしめた。
白薩摩を賞賛したヨーロッパの人々は、それが、かつて朝鮮半島から拉致されて来た人々の末裔が作ったものだとは、およそ想像だにしなかったに違いない。
19世紀に作られた、透かし彫りの香炉。周囲の絵柄も美しいが、上部の透かし彫りの細かさには、思わず目を見張る。陶芸で、これほどの物が作れることに、ただただ驚かされる。
展示された作品は、半分以上が、日本民藝館の収蔵品だった。朝鮮の陶磁器を考える際に、それらを収集した、柳宗悦の存在の大きさを、改めて思い知る。
朝鮮と日本。この海を隔てた2つの地域は、つねに悲しい出来事に彩られてきた。拉致され、無理矢理連れ去られた人々が、その厳しい境遇の中で、成し遂げてきたそうした奇跡を目の前にし、大きく心が動かされる。
実に小規模な展覧会だったが、趣の深い、忘れがたい内容の展覧会だった。
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