東京、目黒の駒場にひっそりと佇む、日本民藝館。そこで、開催された、柳宗悦と茶の関わりを紹介する展覧会。
展示は、柳宗悦が行った、何回かの茶会に出された茶器などを展示し、茶会を再構成する、というコンセプトで行われていた。
閉塞感漂う茶の世界を強烈に、本質的に批判した柳宗悦。代わりに、柳が提示した茶の世界は、実に美が溢れ、誰もがそこに向かいたくなる、そんな世界だった。
一番驚かされたのは、そうした茶器の製作された時代や場所の多様さ。
一見すると、日本と、せめて朝鮮、中国くらいかなあ、と思いきや、イギリスのスリップウェアや、フランス、ドイツと言ったヨーロッパの、中世から19世紀にかけての、多くの民芸品が展示されていた。
よくよく見ると、確かに、描かれているイメージや、シルエットが、ヨーロッパらしいことに気づくが、説明板がないと、最後まで、そうとは気づかない作品が多かった。
民衆の暮らしの中から生まれてくる、生活に寄り添った美しい作品には、国境などない、という、柳宗悦の思想が、そうした作品に、明確に表れている。
掛け軸も、実に多彩。素朴な大津絵のような作品もあれば、明朝の宣帝の筆と伝わる、狗図のような作品もある。宋図の繊細な手法で、親子の二匹の犬が、愛くるしい様子で描かれている。
16〜17世紀に描かれたと思われる、不動明王の像。両方の目が、アンバランスに描かれており、まるで、現代アートのように、あるいはパロディのように見える。全く怖くない、こちらが失笑してしまいそうな不動様だ。
棟方志功が持っていた、17世紀の朝鮮で作られた鉄砂龍文壷。文字通り、龍が描かれているが、これが、どうみても、龍には見えない。毛虫やムカデのようだ。その素朴さが堪らない。
北魏時代の拓本が何点か展示されている。その漢字の彫り方が実に稚拙で、素人が彫ったのでは?としか思えない。恐らく、柳宗悦は、その素朴さを愛したのだろう。
その他にも、展示されていた、どの1点1点も、実に味わい深い民藝品だった。
いろいろな流派にわかれ、細かい決まり事にがんじがらめになってしまっている、現代の茶道とは違った形の茶の世界が、そこにはあった。
日本民藝館の入り口には、梅が綺麗に咲いていた。
宗悦の 茶への思いに 梅も香る
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