2014年3月21日金曜日
岸田吟香・劉生・麗子 知られざる精神の系譜(世田谷区美術館)
岸田劉生の麗子像は、日本の近代洋画の中でも、最も有名な絵画のひとつだろう。
赤い服を着て、遠くを見つめているような少女。その顔は、目が細く、典型帝なアジア系、モンゴル系の顔をしている。
岸田劉生が自分の娘を描いた麗子像は、実物でも、写真でも、一度見たら、脳裏に克明に刻み込まれてしまう、強烈なイメージを持っている。
世田谷区美術館で開催されたこの展覧会では、その劉生の父、吟香と、劉生、麗子の知られざる系譜をたどるという、興味深い内容だった。
岸田吟香は、江戸時代の天保4年、現在の岡山県の農家に生まれ、大阪や江戸に出て勉学し、ヘボンと知り合ってから、様々な場で活躍する機会を得た。
その後、新聞の主筆を務めたり、日本で最初の目薬を製造、販売するなど、マルチな活躍を行った。
会場には、吟香の筆による新聞記事、薬の広告、関連する写真などが展示されていた。多少、絵心もあったようで、いくつかの作品も展示されていた。
劉生は、その吟香の9番目の子として明治24年に生まれ、やがて画家への道を目指していく。生まれたのは、銀座の中心部で、吟香が営んでいた薬屋店舗で住居も兼ねていたところだった。
劉生は、その38年という短い生涯の中で、その画風を何度か大きく変えた。始めは、ゴッホのような後期印象派の手法で、銀座の風景な、自画像を良く描いた。
続いてデューラーのような濃密な絵画の手法で、多くの肖像画や風景画を描いた。そして、その後は中国の宋や元風の技法で、花や花瓶などの絵画を描いた。
会場では、そうした様々な技法で描かれた、劉生の作品の数々を味わうことが出来た。
麗子像は、その真ん中の時期に当たる作品で、その濃厚な油絵は、確かにデューラーの作品の雰囲気が感じられる。
しかし、その女性の半身像は、明らかにダヴィンチのモナリザを意識している。
劉生が、この作品で描いたのは、自分の娘の麗子であろうが、それだけでなく、もっと普遍的な何かを描こうとしたのだろう。
それは、女性という存在かもしれないし、もっと大きな人間という存在かもしれない。あるいは、幼い少女というものの、普遍的な形かもしれない。
劉生が亡くなったとき、麗子はわずか15歳だった。麗子は、舞台女優を務めたり、絵や文章を書いたりと、多彩な活動を行っていく。
父親と、幼い自分の姿を並んで描いている、1923年8月の思出、という彼女の作品を見ると、麗子の画家としての腕の確かさと、いかに彼女が劉生から愛されていたか、ということがよくわかる。
麗子は、父親の評伝をまとめた直後、48歳という若さでこの世を去った。
それにしても、この3人の関係は、何という関係であったのだろう。
わずか38年という短い生涯でありながら、日本の近代絵画の歴史に、圧倒的な影響を及ぼした岸田劉生という画家は、そうした精神の系譜の中から、誕生したのだと、この展覧会は伝えたかったようだ。
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