2014年9月7日日曜日
趙之謙の書画と北魏の書(書道博物館)
趙之謙は、王羲之や顔真卿のような貴族的な書ではない、北魏時代の碑文のような勇壮な書を目指す、いわゆる碑学派の代表的な人物として知られている。
趙之謙は、紹興の商家に生まれたが、生家が没落。役人になるべく北京に上京し、科挙を受けるが失敗し、書や絵画で生計を立てるようになった。
その過程で、北魏時代の極太のダイナミックな書に心を奪われるようになっていった。
趙之謙の書は、そうした北魏時代の書の精神を受け継ぎながら、それまでにない、新しい書の形を表している。
趙之謙が生活のために描いたという数々の絵。植物や花々を、色鮮やかに描いたものが多い。筆遣いは、それほど細かくはなく、簡潔に対象を描いている。
いずれも、目を見張るような名画、という感じではないが、手作り感に溢れた、味のある絵だ。
また、会場には、趙之謙の人生を大きく変えることになった、北魏時代の龍門石窟の書も何点か展示されていた。
いずれも、竜門石窟のそれぞれの仏像を作った経緯などが書かれている。
ほとんど同じ時代に書かれたものだが、字形は異なっており、それを書いた人の、個性を感じさせる。
趙之謙は、科挙を何度か受けたが、結局パスすることができず、ついにあきらめ、地方官になる道を選んだ。
時は、清の末期。太平天国の乱に巻き込まれ、妻子を失い、自らのその処理の政務に忙殺されるようになり、書や絵画に費やす時間も、次第に少なくなっていった。
そうした、必ずしも恵まれたとは言えない人生の中で、多くの書や絵画を残した趙之謙。その名は、強烈に心に中に刻み込まれた。
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