ボストン美術館の収蔵する浮世絵を展示するシリーズ展の最後を飾る北斎展。
ビゲロー、モース、フェノロサ、岡倉天心らにゆかりのボストン美術館は、自らのコレクションだけで、北斎の生涯にわたる作品を展示する展覧会を企画できるほど、膨大な日本美術のコレクションを誇る。
すでに、名古屋、神戸、北九州で開催され、東京はその最後となった。
開始直後に訪れたが、すでにもの凄い人手。世界的にも有名な北斎ということもあり、外国の人々の姿も多かった。
作品は、ほぼ年代の順に展示されていた。勝川春朗を名乗っていた初期の作品は、師匠の勝川春章にならって、役者絵が多い。
北斎を代表する、富嶽三十六景、諸国瀧巡りなどの作品を描いた頃は、意外にも、北斎は北斎改為一とか、前北斎為一、などと名乗っていた。
お岩さんなどで有名な幽霊画、百物語には、前北斎、という名前が刷られている。
北斎は、その生涯で何度も名前を変えている。北斎にとって、絵に記される名前など、それほど重要なことではなかったのかもしれない。
絵の横に書かれた名前よりも、そこに描かれている絵そのものの方が、自分の技術を何よりもよく表していると考えていたのだろう。
会場の最後には、北斎の娘、葛飾応為の肉筆画、三曲合奏図が展示されていた。
実は、この展覧会を訪れたのは、北斎の作品を見るよりも、この応為の肉筆画を見ることの方が、大きな目的だった。
現存する作品が、10点ほどしかないという幻の画家。
美しい着物を来た3人の女性が、お互い向かい合って、琴、胡弓、三味線を演奏している、色鮮やかな作品。
美人画を描くのが苦手だった北斎に変わって、一部の作品では、女性の部分だけを代筆していた、といわれる応為。
北斎が亡くなった後の応為の晩年は、今でもよくわからないという。
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