2014年9月21日日曜日

フィオナ・タン まなざしの詩学

インドネシア人の父とオーストラリア人の母を持ち、インドネシアに生まれ、オーストラリアで育ち、現在はオランダを中心に活躍する、フィオナ・タンの映像作品を展示した企画展。

フィオナ・タンの作品は、いずれも、視線、記憶、歴史、などに結びついている。

2009年、ヴェネツィア・ヴィエンナーレで発表され、大きな話題を呼んだ、ディスオリエント。

大きな部屋の中で、2つの映像が流れている。ちょうど向かいの壁に、すこしずらすようにして、その2つの映像は映されてている。

どちらかの映像を、一つづつ見ることもできるし、両方の映像を見える位置を探して、2つの映像を交互に見ることもできる。

片方の映像では、マルコ・ポーロの『東方見聞録』が朗読に合わせて、そこで取り上げられた都市や地方の、現在の映像が流されている。

中央アジアの、当時とあまり変わっていない地域もあれば、中国の都市などのように、高層ビルが建ち並ぶ都市の映像もある。

もう一つの画面では、仏像、陶器、インドの神々の銅像など、中国やインドなどの東洋の文物を集めた、赤を基調とした中国風のインテリアの、博物館の中のような部屋を巡る映像が流されている。

2つの映像の中では、過去と現在、記憶、物、物語、などの多様な要素が、複雑に絡み合っており、それらが映像を見る人々の頭の中で、時に絡み合い、時に離れ合っていくようだ。

インヴェントリーという作品は、イギリスの高名な建築家のローマ彫刻コレクションを撮影した映像を、6つの画面で映している。

その建築家は、若き日に訪れたローマの印象を、そうした彫刻作品を自宅に飾ることで、ずっと保ち続けたかったらしい。

彼にとって、ローマという都市は、あくまでも古きローマ帝国の中心ともいうべき存在で、その時代の人々が暮らす都市、というものではなかったようだ。

一人の人間の記憶の中にある、古い時代の記憶。そこでは、記憶が重層的に重なり合っている。それを、タンは、映像の中に留めようとしている。

東京都写真美術館は、この企画展が終わる9月24日より、改修工事のために、2年に渡る長い休館に入る。

これまで、この美術館では、写真、映像の素晴らしい作品を鑑賞してきた。2年間も、そうした時間が味わえなくなるということは、残念というより、悲劇と表現した方が、より正しい。

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