鉄斎のことは、かねてから、とても興味を持っていた。
その作品は、これまでに、日本画のいくつかの展覧会で、何点か目にしたことがあったが、出光美術館のこの展覧会で、まとまった数の作品を味合うことが出来た。
最後の文人画家、と言われる通り、水墨で描かれた、典型的な文人画の数々は、素直に楽しめる作品ばかり。
6曲2双の放牛桃林図は、10頭以上の牛が、思い思いに桃の木が立ち並ぶ林の中に、描かれている。
禅の十牛図は、悟りの段階を牛を使って表しているが、この鉄斎の作品は、その牛をパロディのように使って、沢山の牛を、いろいろなポーズや表情で描いていて、鉄斎のユーモア心がうかがえる。
明恵上人旧盧之図、という明恵上人が過ごした高山寺周辺の風景を描いた掛け軸では、木々の緑の中に、紅葉の紅をところどころに散らして、美しい世界を作り出している。
鉄斎の作品には、浦上玉堂、田能村竹田、松花堂昭乗ら、江戸時代の文人画を描いた、あるいはその画風を使って描いた作品がある。
そうした江戸時代の文人たちは、脱藩したり、町に暮らしたりと、権力とは一線を引いた生活を送っていた。
しかし、鉄斎は、そうではなかった。
幕末の京都に生まれた鉄斎は、明治維新の時は、33才だった。
その後、儒者でありながら、石上神社などの宮司を務め、官位も与えられた。そのような人物を、文人と呼ぶことには、少し抵抗を感じする。
明らかに、鉄斎は、体制側にいる人間だった。
鉄斎自身は、玉堂のような、江戸時代の文人たちの暮らしに憧れていたのだろう。しかし、彼自身の暮らしは、そうではなかった。どっぷりと、俗世間に浸かっていた。
そうした鉄斎の生涯を知った後で、彼の作品を見ると、その中には、彼が憧れた浦上玉堂、田能村竹田らの世界には、どうしても届けなかった、そんな悲しい世界が、描かれているように思えた。
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