鏑木清方といえば、上村松園とならぶ美人画家。その清方と、江戸の関係に焦点をあてた千葉市美術館の展覧会。
鏑木清方は、明治11年に東京神田に生まれ、13才で月岡芳年の弟子である水野年方に弟子入りし、明治30年に挿絵画家として独立した。
泉鏡花、尾崎紅葉、樋口一葉などの、女性が大きな役割を演じる作品の挿絵を描いていた。
やがて、江戸時代を偲ばせるような、和服の美人画を描く絵師として、名前が知られるようになった。
清方は、女性を描くにあたり、江戸時代の浮世絵師の描く女性像を参考にしていた。特に、勝川春章、鈴木春信、喜多川歌麿などの作品が、特にお気に入りだったという。
清方の描く女性は、どれもが美しい和服の着物をまとい、何かをしているその仕草には、日本女性らしい繊細さが感じられる。
清方が憧れていた、鈴木春信の描く女性には、単なる美しさや繊細だけではなく、ある意味で、いやらしさというか、したたかさも描かれているが、清方は、そうした面は取り入れず、ひたすらに、純粋化された女性像を描いた。
清方は、明治生まれだが、太平洋戦争も生き抜いて、昭和47年に94才で亡くなった。
戦後は、自分のことをすでに過去の画家として、細々と制作を続けていたという。
昭和23年に描かれた、朝夕安居、という絵巻物の作品には、自分が幼かった頃の東京の人々の暮らしを、懐かしさと深い愛情を込めて描いている。
その90年以上の生涯の中で作り出した、独特な絵画世界の中では、清方が理想とした女性たちの、江戸や明治での暮らしの様子が描かれている。
鏑木清方のことを、美人画家ではなく、ユートピア画家と読んでも、それほど間違ってはいないだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿