竹久夢二とロートレックなどベルエポックの画家たちを並べて展示したユニークな、日本橋高島屋での展覧会。
竹久夢二といえば、はかなげな、なよなよっとした女性を描いた画家として知られるが、この展覧会では、夢二の別な側面を、垣間見ることができた。
と言うより、そうした、一般に知られてるのとは違った夢二の姿の方が、本当の夢二なのかもしれない。
夢二は、明治17年に岡山で生まれ、東京に上京し、絵を学び、藤島武二、岡田三郎、木下藤次郎、川端龍子ら交流した。
挿画家としてデビューしてからは、ロートレックやヴィヤールなどのフランスの画家たちの構図などを参考にし、様々な挿画を描いていた。
やがて、妻となるたまきや、その後の様々な恋人たちを描いた独特の女性画が大きな反響を呼ぶようになり、それが、竹久夢二という画家のイメージを決定付けることとなった。
その一方で、夢二は、与謝蕪村のような、いわゆる文人画の世界への憧れも持っていた。
自ら漢詩や和歌を詠める夢二は、掛け軸にそうした詩と風景画を描いた作品を、実に多く描いている。
会場には、屏風絵も何点か展示され、和としての夢二の世界を十二分に堪能できた。
夢二は、デザインの世界でも、美しい草花をあしらった千代紙のデザインなど、魅力的な作品を残している。
自ら企画したデザインショップを日本橋に作ったり、デザインを専門に行う会社の設立も計画していたが、後者は、残念ながら、実現までには漕ぎつかなかった。
昭和6年から8年にかけて、美術の研究のためにヨーロッパに渡ったが、帰国後に体調を崩し、昭和9年、1934年、に息を引き取った。
西洋絵画、挿画、デザイン、文人画などなど。わずか50年ほどの短い人生の中で、あまりにも多彩な活躍をみせた竹久夢二。
この展覧会で、夢二の作品の一端を目にしただけでも、偉大なアーティスト、と呼ぶに相応しい。
私たちは、竹久夢二というアーティストを、正当に評価することが、いまだにできていない。
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