2014年10月13日月曜日
生誕200年 ミレー展 美しきものたちへのまなざし(府中市美術館)
これほど多くの人が、この府中市美術館を訪れているのを見たのは、これがほとんど初めてだった。
行われていたのは、ジャン=フランソワ・ミレーの生誕200年を記念する特別展。
改めて、日本人がいかにこの画家のことを好んでいるのかを実感した。
展示されていた作品は、大きく分けて2種類。肖像画と、農民や農村を描いた作品。
ミレーと言えば、農民画家、というイメージが強いが、若い時は、パリで肖像画家として生活を営んでいた。
最初の妻、ポーリーヌを描いた、山梨県立美術館所蔵の作品。ポーリーヌは、結婚後3年足らずで、肺結核のために亡くなってしまった。
すでに、病気が進行していたのだろうか?その顔色は、青みがかかっており、どう見ても健康そうには見えない。
この作品は、10年以上前に目にしたことがあったが、目の前の作品は、記憶の中の作品と、ほぼ同じ。
描かれたイメージを、鮮明に人々の記憶に残してしまう、ミレーの肖像画家としての力量に、あらためて感心させられた。
ミレーの若い頃の作品は、描き方のタッチが、ドラクロワを連想させる。
あまり輪郭線や表情をくっきりと描かずに、荒いタッチでぼかして描く技法は、肖像画を描く技法とは、明らかに違っている。
農民の家族、という作品は、夫婦が農家の前に並んで立ち、その足下で、こどもが両親の足に戯れついている。
農民画家ミレーの典型的な作品だが、こちらをまっすぐに向いている夫婦の表情は、はっきりとは描かれていらず、人間としての個性が感じられない。
ミレーの有名な作品、晩鐘、落ち穂拾い、種をまく人、などについても、表情はぼかされている。
個人としての農民よりも、農民という存在そのものを象徴化して描いたのだろう。
ミレーは、バルビゾン村に定住してからも、農民たちとは、あまり交流することはなかったという。
農民たちの個性を描くという意図は、そもそも持っていなかったのかもしれない。
この展覧会で、農民画家としてのミレーの、違った一面を垣間見た気がした。
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